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青森地方裁判所八戸支部 平成2年(ワ)73号 判決

主文

一  被告は、原告甲野一郎に対し、金九八六二万〇六四一円及び内金一〇〇〇万円に対する平成二年五月二七日から、内金七九六二万〇六四一円に対する平成四年三月一四日から、内金九〇〇万円に対する平成五年一〇月七日から各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  被告は、原告甲野太郎及び同甲野花子に対し、それぞれ、金五五〇万円及び内金五〇〇万円に対する平成二年五月二七日から、内金五〇万円に対する平成五年一〇月七日から各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

三  原告らのその余の請求をいずれも棄却する。

四  訴訟費用は、これを四分し、その一を原告らの負担とし、その余を被告の負担とする。

五  この判決は、第一及び第二項に限り、仮に執行することができる。

理由

一  当事者

請求原因1(一)、(二)の各事実は当事者間に争いがない。

二  原告一郎の症状と診療経過

1  請求原因2(一)(1)の事実、同(2)の事実のうち、原告花子の血液型がO型であること、同(七)の事実のうち、昭和六三年一二月二九日、被告が原告花子に対し、原告一郎に坂上小児科医院の診察を受けさせるよう指示し、これを受けて原告花子が原告一郎を同医院に連れていき、その後坂上医師の指示により同原告が青森市民病院に転院したことは当事者間に争いがなく、右争いのない事実に、《証拠略》を総合すると、以下の各事実が認められる。

(一)  原告花子は、昭和六三年一二月一五日、出産のため被告病院に入院し、同月二四日午前六時三五分、原告一郎を出産した。右出産は満期正常分娩で、同原告は出生時の体重が三〇五〇グラムの成熟児であり、その身体に何ら異常は認められなかつた。

ところで、原告一郎の血液型はB型であり、O型である原告花子との間でABO式母子血液型不適合の状態にあつたが、被告医院では、原告一郎の血液型についての検査は行われていなかつた。

(二)  原告一郎は、同月二五日午前六時三〇分ころ起床したが、その当時、同原告の顔、首や目には既に黄疸の症状が出現していた。原告花子は、これを見て、被告に原告一郎の診察を依頼したところ、被告は、午前七時ころ同原告を診察したが、大丈夫である旨述べるだけであつた。しかしながら、原告一郎は、その後の朝の沐浴時において、看護婦や他の産婦から「大分黄色いですね。」と言われるなど、他の新生児と比較してより強い黄疸の症状を呈していた。

また、原告花子は、被告から、昼夜とも四時間おきに原告一郎に哺乳するよう指示を受けていたことから、同日、一回に五〇ないし六〇シーシーのミルクを六回哺乳したものの、同原告は、そのうちの二回だけ、一回につき一〇ないし二〇シーシー位のミルクを飲んだに過ぎなかつた。原告花子は、原告一郎の哺乳量が長女甲野春子の出生直後の哺乳量より随分少ないと感じて看護婦に相談したが、特に指示は受けなかつた。

そして、同原告は、同日は一日中ほとんど眠つていた状態であつた。

(三)  原告一郎は、同月二六日も四時間おきに六回哺乳されたが、そのうち二回位しかミルクを飲まず、その量も一回につき二〇シーシー程度であつた。原告花子は、これを見て、同日午後五時三〇分ころ、被告に対し、原告一郎の哺乳量や哺乳回数が少ない旨訴えたところ、被告から哺乳の間隔を四時間以上空けるよう指示されたので、五ないし六時間空けて哺乳してみたものの、原告一郎の哺乳量や哺乳回数は回復しなかつた。

そして、同原告は、この日も一日中眠つていた状態であつた。

なお、この日の同原告のビ値は、一五程度には達していた。

(四)  原告一郎の黄疸は、同月二七日になると一段と強くなり、同日昼前ころには、同原告を見た原告花子の知人の母親に「随分黄色いですね。」と言われたこともあつて、同原告は、原告一郎の右症状を被告に訴えたところ、被告は、同原告を見て、「これ位なら大丈夫でしよう。掛けていた毛布の色が黄色のせいで黄色く見えるのだから、毛布を取りなさい。」と言うだけで何らの措置も取らなかつた。ところで、そのころになると、看護婦の間でも同原告の黄疸が他の新生児に比べて強いことが話題に上り、看護婦稲葉エリ子は、このことを被告に報告していた。

そして、同原告は、この日も一日中眠つていた状態であつた。

なお、この日の同原告のビ値は、二一程度には達していた。

(五)  原告一郎は、同月二八日においても相変わらず、日中も三回位、一回につき約二〇シーシーのミルクを飲むに過ぎなかつたが、夜になると全くミルクを飲まなくなつた。

そして、同原告は、同日の日中は眠つていたが、夜になると目を開けて全く眠らなくなつた。

なお この日の同原告のビ値は、二七程度には達していた。

(六)  原告一郎は、同月二九日午前二時ころから、瞳が下がる落陽現象が生ずるようになつたほか、息づかいも次第に荒くなつて「ふーふー」という音がするほどになり、原告花子が抱き上げると左手をだらんと下に下げる状態になつた。

そのため、同原告は、同日午前六時ころ、原告一郎の容態の悪化を被告に訴えたところ、被告は自ら診察せず、被告医院の近くにある坂上小児科医院で診察を受けるよう指示しただけであつた。なお、被告医院には、ビ値の測定器や交換輸血を行う設備は備えられていなかつた。

そこで、原告花子は、同日午前一〇時ころ、原告一郎を連れて坂上小児科医院に赴いたところ、同医院の坂上医師は、黄疸が強く出現していた同原告の容態を見て直ちに光線療法を行う必要を感じたものの、そのための設備が整つていなかつたことから、すぐに青森市民病院に転院するよう原告花子に指示した。

(七)  原告花子は、坂上医師の指示に従い、原告一郎を伴つて青森市民病院に赴き、同日午前一一時四〇分ころ同病院に入院したが、その時点では、全身に黄疸が著明に現れ、両腕を伸展して腹部の上に乗せ、両手をゆるく握るという中枢神経の異常を表す伸筋優位の肢位を示しており、体重も二七九六グラムまで減少していた。

同病院小児科部長の千葉医師は、このような同原告の状態を見て、黄疸が強く脳障害も生じている可能性がある旨判断し、その旨原告花子に説明するとともに、直ちにビ値を検査したところ、三三・四という高い数値を示し、原告一郎が高ビリルビン血症に罹患していることが判明したので、光線療法を開始するとともに、交換輸血の実施を決めた。

千葉医師は、同原告の疾患を特発性高ビリルビン血症と想定し、原告花子らに対し、原告一郎と同じ血液型であるB型の供血者を集めるように指示したところ、やがて四名の供血者が集まつたので、各供血者について末梢血液検査、血液型検査、生化学検査、血清検査、交差試験等の諸検査を行つたが、交差試験の主試験でいずれも陽性と出たことから、同原告の高ビリルビン血症がABO式母子血液型不適合に基づく可能性が非常に高いと判断した。そこで、千葉医師は、原告花子らに対し、今度は血液型がO型の供血者を集めるように指示したところ、やがて五名の供血者が集まつたので、同日午後八時ころ、各供血者のそれぞれについて右諸検査を行つた。しかるに、今度は、交差試験の主試験がいずれも陰性と出たことから、千葉医師は、原告一郎に対する交換輸血が可能となつたと判断し、右供血者から採血した上、同日午後一〇時五五分ころ、右交換輸血を開始した。

右交換輸血は、輸血と瀉血のそれぞれについて管を確保してこれを同時に行う二ルート法で行われたが、同日午後一一時五五分ころの段階では輸血量が八八・五ミリリットル、瀉血量が一〇〇ミリリットルに達し、翌三〇日午前〇時五五分ころの段階では輸血量が一八七ミリリットル、瀉血量が一九〇ミリリットルに達していた。そして、同日午前一時二五分ころ、合計で約二三七・二ミリリットルの輸血をした時点で、同原告のビ値を検査したところ、二五・九まで改善されていた。しかしながら、千葉医師は、その後も交換輸血を続行し、同日午前二時七分ころ、輸血量が三〇七・五ミリリットル、瀉血量が二九七・五ミリリットルに達したところでこれを終了した。

そして、同原告のビ値が同日午前中には一九・六にまで下がつたので、同日午後四時ころ、同原告に対する光線療法も中止された。

なお、同原告のビ値は、同月三一日には一七・七、昭和六四年一月一日には一八・二、同月五日には一二・六と漸次低下していつた。

(八)  昭和六三年一二月三〇日夜、原告一郎に、眼球異常(一点凝視)、四肢強直等の新生児痙攣の症状が現れたが、その後、これらの症状は徐々に改善し、哺乳力も良好となつていつた。そして、同原告は、平成元年一月二九日青森市民病院を退院して八戸市民病院に転院したが、同年四月五日、肢体不自由児施設青森県立はまなす学園で脳性麻痺と診断され、同日以降、脳性麻痺による障害を改善すべく同学園に通園して機能訓練等を受け、現在に至つている。

2(一)  被告医院入院中の原告一郎のビ値について

(1) 昭和六三年一二月二六日ないし二八日における原告一郎のビ値については、《証拠略》によつて、前記のとおり認定したものであるところ、右各証拠から明らかなとおり、右ビ値は、右各日に現実に測定されたものではなく、同月二九日に同原告が青森市民病院に入院した時点でのビ値が三三・四であつたことに基づき、同医師が推測した数値である。

(2) ところで、前掲乙第一号証の原告一郎の体温表中には、同原告の黄疸につき、同原告のイ値が昭和六三年一二月二四日は〇、二六日及び二七日は一・〇、二八日及び二九日は一・五との記載があるほか、同号証中の国民健康保険被保険者診療録には、同月二八日夜のイ値が二と三の間位であるとの記載がある。さらに、被告は、その尋問において、前記体温表の各記載は、看護婦が各日の朝に測定した結果を記録したものであるが、同月二八日夜には、被告自らがイクテロメーターで測定し、同原告のイ値を二と三の間位と判断したものであつて、その結果が前記診療録の記載のとおり記録されている旨供述する。

しかるに、《証拠略》によれば、イ値二はビ値〇ないし一〇に、イ値二・五はビ値二ないし一二に、イ値三はビ値五ないし一五にそれぞれ相当することが認められるから、前記各記載ないし供述は、同月二六日ないし二八日における同原告のビ値に関する前記認定に反するものということができる。

(3) しかしながら、《証拠略》によれば、乙第一号証の原告一郎の体温表中に同原告のイ値として記載されている前記各数値は、いずれもイクテロメーターで測定して得られた結果ではなく、准看護学生を含む新生児管理の経験の浅い看護婦が目測した黄疸の程度をイ値に当てはめて推測したものに過ぎないことが認められるところ、《証拠略》によれば、新生児黄疸の強さを肉眼で判断するにはある程度の熟練が必要で、通常の看護婦が肉眼で観察した結果は客観性に欠けることが認められるから、前記体温表中の各イ値の数値は著しく信用性の低いものといわざるを得ない。

また、昭和六三年一二月二九日午前一一時四〇分に青森市民病院に入院した直後の原告一郎のビ値は前記認定のとおり三三・四であるところ、本件の鑑定人である外西寿彦は、その証人尋問において、本件のようなABO式母子血液型不適合に基づく溶血性疾患による高ビリルビン血症の場合、何らかの原因でビ値が生後四、五日経つてから急激に上昇することは極稀にしかなく、同原告の場合には右のような原因が窺えない旨証言していることに加え、千葉医師も、その証人尋問において、同月二八日の時点で、イ値と二と三の間を示すことは医学的にありえない旨断言していること更には、同月二八日から二九日にかけての同原告の前記認定にかかる症状をも合わせ考慮すると、前記診療録に記載されている同月二八日夜のイ値の数値は信用性に乏しいものといわざるを得ず、被告の前記供述も、同月二八日夜における同原告のビ値に関する前記認定を左右するものとは認め難い。

(二)  被告医院入院中の原告一郎の哺乳量について

《証拠略》によれば、被告医院の看護婦らは、原告一郎の看護記録の昭和六三年一二月二六日欄に前日(同月二五日)における同原告の哺乳量が九〇シーシーである旨の記載をし、同様に、同月二七日欄には前日の哺乳量が一一〇シーシーである旨の、同月二八日欄及び同月二九日欄には各前日の哺乳量が各一八〇シーシーである旨の記載をしたことが認められ、右各記載は、同原告の哺乳量に関する前記認定に反するものである。

しかしながら、実際に同原告に対する哺乳を行つた原告花子が、その尋問において、原告一郎の哺乳量につき、前記認定のとおの供述をしていることに加え、証人工藤弘美は、その尋問において、右各記載は同原告の吐乳量を考慮していないため不正確である旨の供述をしていることや、前記認定のとおり、青森市民病院入院時における原告一郎の体重(二七九六グラム)が出生時の体重(三〇五〇グラム)よりもかなり減少していることをも合わせ考慮すると、前記看護記録中の各記載は、事実を正確に記載したものとはにわかに認め難く、同原告の哺乳量に関する前記認定を左右するものとは言い難い。

三  原告一郎の脳性麻痺の原因

前記認定事実に、《証拠略》を総合すると、母の血液型がO型で児の血液型がA型ないしはB型といつたように母児間の血液型にABO不適合の組み合わせがある場合、母体内で胎児血液型抗原に対する抗体が産出され、その抗体が胎盤を通過して胎児へ移入されるため、児体内で抗原抗体反応が起こり溶血現象が生じる疾患(ABO不適合溶血性疾患)が発生することがあること、右疾患により、破壊された赤血球のヘモグロビンが間接型(非抱合型)ビリルビンとなるが、新生児においては肝機能が未発達なために、間接型(非抱合型)ビリルビンが抱合し、直接型(抱合型)ビリルビンとなつて体外に排泄されることが少ないことから、間接型(非抱合型)ビリルビンの濃度が上昇し、高ビリルビン血症になつて黄疸が出現すること、さらに、間接型高ビリルビン血症に伴い、ビリルビンが脳基底核を中心に沈着することがあり、これを核黄疸ということ、核黄疸に罹患すると、脳障害が引き起こされることもあること、原告一郎は、右のような機序をたどつて、ABO式母子血液型不適合に基づく溶血性疾患により間接型高ビリルビン血症に罹患し、この高ビリルビン血症によつて更に核黄疸に罹患した結果、脳性麻痺の障害を負うこととなつたこと、以上の事実を認めることができる。

四  被告の債務不履行

1  請求原因3(一)の事実は当事者間に争いがない。そうすると、被告は、原告らに対し、本件各診療契約に基づき、請求原因3(二)記載の診療義務及びその一環としての転院義務を負うものというべきである。

2  そこで、請求原因3(三)、(四)の主張について検討する。

(一)  《証拠略》によれば、次の事実が認められる。

(1) 核黄疸は、一般に次のとおりの経過をたどるとされている。

ア 第一期(発症後一両日)

筋トーヌス(筋緊張)の低下、嗜眠、哺乳力減退等の非特異的症状が見られるようになる。

イ 第二期(第一期後、一週間ないし二週間)

後弓反張、四肢強直、落陽現象が出現する。

ウ 第三期(第二期後、一か月ないし二か月)

第二期に見られた神経症状が減弱ないし消失し、ときには外見上全く無症状に見えることもある。

エ 第四期(生後二か月以降)

永続的な後遺症として不随意運動、凝視麻痺等の錐体外路症状、エナメル質異形成、聴力障害等が次第に明らかになつてくる。

(2) 核黄疸は、一般にはその症状が完成してしまうと、たとえ治療により延命しえても、後に重篤な後遺症を残すことが多い。しかし、第一期のうちに適切な治療が施されれば、神経症状の改善も期待でき、この意味では第一期は臨床的に最も重要な時期といえる。

(3) 核黄疸に罹患した場合、それによる後遺症の発生を予防するための有効な手段は、交換輸血である。右予防のための交換輸血は、(1)、(2)から明らかなとおり、第二期に入る前に行われる必要がある。右交換輸血の施行時期の目安となるのがビ値であり、文献では、二〇が右施行時期の臨界レベルとして記載されている。

(4) ところで、新生児は、成人と比較して、単位体重当たりの循環赤血球量が多く赤血球寿命が短いことからビリルビンが多く産生されるが、肝機能が未発達であるため、ビルリビンの抱合、排泄が十分に行われない。これらの理由等により、新生児期には、成人と比較して、生理的黄疸が増強するような状態にある。

新生児の生理的黄疸は、生後二四時間以上経過した後に出現し、ビ値の増加速度は一日当たり五以下であり、最高ビ値は、日本人の成熟児で一二・六プラスマイナス三・六という報告がなされている。

新生児の生理的黄疸は、ほとんどすべての児が経験するが、治療が必要となる病的黄疸(原告一郎が罹患した間接型高ビリルビン血症による黄疸も病的黄疸の一種である。)はこれとは異なるものであつて、生理的黄疸との区別の目安としては、〈1〉生後二四時間以内に肉眼的に認められる黄疸(早発性黄疸)が見られること、〈2〉ビ値の増加速度が一日当たり五以上であること、〈3〉新生児高ビリルビン血症の場合、成熟児でビ値が一七以上あること、〈4〉核黄疸の神経症状が認められること等が文献上挙げられている。

(二)  前項での認定事実及び前記二、三での認定事実を前提として検討するに、原告一郎には、出生から二四時間以内の昭和六三年一二月二五日午前六時三〇分ころには肉眼的に認められる黄疸が出現し、同日ころから核黄疸の第一期症状である嗜眠、哺乳力の低下が見られ始め、同月二七日には、原告花子の知人の母親からも指摘を受けるほど原告一郎の黄疸が一段と強くなつた(この時点でのビ値は二一程度には達していた。)というのであるから、被告は、同原告に核黄疸の第二期症状が出現することを予防するため、遅くとも同月二七日には、本件各診療契約に基づく債務の履行として、ビ値の測定と交換輸血の実施が可能な病院に同原告を転院させる措置を取るべきであつたというべきである。

しかるに、前記認定事実によれば、被告は、同月二七日に原告花子から原告一郎の黄疸の症状を訴えられた際にも、「これ位なら大丈夫でしよう。掛けていた毛布の色が黄色のせいで黄色く見えるのだから、毛布を取りなさい。」と言うのみで、同月二九日に同原告に核黄疸の第二期症状である落陽現象が出現した後まで、核黄疸の治療方法として有効な交換輸血を行える専門病院へ同原告を転院させることはおろか、ビ値の検査ができる病院で受診させようともしなかつたのであるから、前記措置を取らなかつたことは明らかであつて、被告には、本件各診療契約上の債務の不履行があつたというべきである。

そして、被告の右債務不履行と同原告の脳性麻痺の後遺症との間に因果関係が存することは、後記(四)で認定するとおりである。

(三)  ところで、被告は、昭和六三年一二月二七日の時点では、被告には原告一郎が病的黄疸に罹患していたことについての予見可能性がなく、被告が同原告の黄疸を生理的黄疸と判断して病的黄疸と判断せず、転院措置を講じなかつたことに過失はない旨主張する。

しかしながら、病的黄疸と生理的黄疸との区別の目安として、病的黄疸の場合には、生後二四時間以内に肉眼的に認められる黄疸が見られる点が指摘されていることは前記認定のとおりであるところ、同原告には、出生から二四時間以内の昭和六三年一二月二五日午前六時三〇分ころには肉眼的に認められる黄疸が出現しているのみならず、同日ころから核黄疸の第一期症状である嗜眠、哺乳力の低下が見られ始め、同月二七日には同原告の黄疸が一段と強くなつたとの前記認定事実に照らせば、同日の時点で、被告は、同原告の黄疸が病的黄疸であると診断することが可能であつたというべきであつて、同原告の黄疸を病的黄疸と判断せず、転院措置を講じなかつたことに過失がない旨の被告の前記主張には理由がない。

(四)  また、被告は、仮に、被告の診療行為に過誤があつたとしても、原告一郎が青森市民病院へ転院した当時は、脳神経への影響は未だなかつたものであるから、右過誤と同原告の後遺症との間には因果関係がなく、被告は、右後遺症の発生につき債務不履行責任を負わない旨主張する。

しかしながら、前記認定事実及び鑑定の結果によれば、同原告の核黄疸の症状は、昭和六三年一二月二七日の段階では第一期の症状に止まつていたが、同月二九日午前二時の時点において、核黄疸の第二期の症状である落陽現象が生ずるに至つたこと、核黄疸は、第一期のうちに適切な治療が施されれば、神経症状の改善も期待できるが、第二期に入ると、たとえ治療により延命しえても、後に重篤な後遺症を残すことが多いこと、同原告が青森市民病院に入院した時点では、全身に黄疸が著明に現れ、両腕を伸展して腹部の上に乗せ、両手をゆるく握るという中枢神経の異常を表す伸筋優位の肢位を示していたのみならず、右入院直後のビ値は三三・四という高い数値を示していたこと、ビ値が三〇ないし三四・九に達した場合の脳障害発生率は七五パーセントと報告している文献が存在し、実際に同原告にも脳性麻痺という後遺症が発生するに至つたことが認められ、右認定事実に照らせば、同原告は、同月二七日の段階で適切な治療を受けていれば、右後遺症の発生を防止できたものの、被告の前記債務不履行により、右治療を受ける機会を逸し、青森市民病院に転院した時点では、同原告の核黄疸は、既に不可逆的な段階に達してしまい、その結果、同原告に右後遺症が発生したと認めるのが相当である。したがつて、被告の債務不履行と同原告の右後遺症との間には因果関係が存するものであり、これを否定する被告の主張には理由がない。

(五)  なお、被告は、青森市民病院で行われた原告一郎の交換輸血治療に過誤がある旨主張するので、この点についても触れておくこととする。

(1) 交換輸血開始時期に関する過誤の主張について

《証拠略》によれば、青森市民病院では、高ビリルビン血症で入院した場合、通常は、一般検査、供血者の収集及びその検査等を経て約三時間ないし三時間半位で交換輸血を開始できることが認められるところ、原告一郎が同病院に入院した後一一時間余も経過してから交換輸血が開始されていることは前記二で認定したとおりである。

しかしながら、前記二で認定した事実によれば、千葉医師は、まず、同原告の疾患につき特発性高ビリルビン血症と想定してB型の供血者を集めて交差試験をしたところ、陽性の結果が出たことからABO不適合高ビリルビン血症と診断してO型の供血者を集め直したため、前記のように入院後長時間経過してから交換輸血が開始されたものであるところ、《証拠略》によれば、患児に高ビリルビン血症が見られ、母児の血液型にABO不適合がある場合であつても、それが必ずABO不適合高ビリルビン血症であるというわけではなく、むしろ、右不適合以外の原因による特発性高ビリルビン血症であることがほとんどで、ABO不適合高ビリルビン血症の発生頻度は非常に少ないこと、高ビリルビン血症の治療には交換輸血が有効であるところ、特発性高ビリルビン血症の場合には、血中ビリルビンの除去のみが目的となるため、交換輸血には患児と同型血またはO型血を用いるのに対し、ABO不適合高ビリルビン血症の場合には、血中ビリルビンとともに抗体の除去も目的となるため、O--low型の血液型が使用されるが、その入手が困難な場合には普通のO型血が使用されることが認められるのであつて、右認定事実に照らすと、千葉医師が当初高ビリルビン血症として発生頻度の高い特発性高ビリルビン血症を想定し、これに適合するB型の供血者を集めたことには合理性があり、その後、交差試験の結果陽性と判明し、供血者を集め直さなければならなくなつたため、通常よりも長い時間を要することになつたとしても、千葉医師の当初の判断に過誤があるとはいえない。そして、《証拠略》によれば、同原告が入院した当日の昭和六三年一二月二九日は、青森市民病院では年末年始の診療態勢に入つており、通常の場合に比べて検査態勢が十分ではない時期にあつたことが認められ、右のような事情をも考え併せると、青森市民病院に入院後一一時間余経過してから交換輸血が開始されたのは止むを得なかつたというべきである。

(2) 交換輸血量に関する過誤の主張について

《証拠略》によれば、満期産児の循環血液量は体重一キログラム当たり八〇ないし九〇ミリリットルであること、一回の交換輸血の血液使用量は、患児の血液量の二倍とされていることが認められるところ、前記認定事実によれば、原告一郎の入院時の体重が二七九六グラムであるから、同原告の血液量は二二四ないし二五二ミリリットル位と考えられるのに、青森市民病院では右血液量の二倍に満たない三〇七・五ミリリットルしか輸血していないことが認められる。

しかしながら、前記認定事実に、《証拠略》を総合すると、患児の体重一キログラム当たり一〇〇ミリリットルの血液を交換輸血すれば、患児のビ値が約八〇パーセント程度改善されるが、それ以上の血液を交換輸血しても患児のビ値はほぼ横ばいで推移し、その交換率はせいぜい数パーセント上昇するに過ぎないので、一キログラム当たり一〇〇ミリリットルの交換輸血をすることによりほぼその目的を達成することができること、しかるに、千葉医師は、原告一郎につき、体重一キログラム当たり約一一〇ミリリットルの血液を交換輸血していること、文献では、ビ値二〇が交換輸血施行時期の臨界レベルとされているところ、同原告のビ値は、約二三七・二ミリリットルの血液が交換輸血された段階において、二五・九にまで改善され、更に約七〇ミリリットルの血液が交換輸血された後は、臨界レベルの二〇以下で推移していること、以上の事実が認められ、右認定事実に照らせば、青森市民病院における交換輸血の量に過誤があつたとは認め難い。

(3) 交換輸血の施療時間に関する過誤の主張について

《証拠略》によれば、成熟児の交換輸血は、一回の瀉血または輸血量が二〇ないし三〇ミリリットルずつ、瀉血、輸血とも二分で行い、全所要時間は一〇〇ないし一二〇分位とされているところ、前記認定事実によれば、原告一郎の交換輸血は、開始から終了まで三時間一二分かかつていることになるが、《証拠略》によれば、交換輸血により、スピードショック、過負担による心臓障害等の合併症を起こすことがあり、また、交換輸血を施行後ビ値は一旦低下するものの、三〇分以内に右値が再上昇(リバウンド)することから、このようなリバウンドを少なくし、交換率を高める目的で、交換輸血の中間に三〇分ないし六〇分の休みを置いたりすることが認められるのであつて、右認定事実に照らせば、同原告の交換輸血の時間が特に長時間であつたとまではいえず、この点に過誤があつたとは認め難い。

(六)  以上によれば、原告一郎の核黄疸後遺症としての脳性麻痺は、本件各診療契約上の債務不履行により生じたものと認めるのが相当であり、被告は、その債務不履行によつて原告らが被つた損害の賠償責任を免れない。

五  損害

1  原告一郎の後遺症の内容

前記認定事実及び調査嘱託の結果(原告らの平成四年一一月四日、平成五年二月一五日及び同年四月一日各申し出にかかる分)によれば、原告一郎は、〇歳時において脳性麻痺の後遺症が残つたこと、同原告は、平成五年三月二四日現在、その後遺症により、回復の見込みのない不随意運動型四肢麻痺の機能障害を有しており、顔面筋、頚部、四肢、体幹には不随意運動が見られること、そのために、同原告の顔には歪みが出現して会話の際の構音障害をもたらしており、また、頭部が不安定である上、巧緻動作の障害を生じ、体幹の直立した姿勢を保持するのも困難な状態にあること、さらに、同原告は、右のような機能障害のため、起居、移動、食事、更衣、整容、トイレ及び入浴動作並びにコミュニケーションといつた日常生活動作全般を正常に行うことができず、食事や排泄を行い、清潔を保ち、身辺を整え、移動したり他者との交流を図るなど健常者と同程度の生活を送るためには他者の手助けを求めなければならず、生涯にわたり、日常生活上たびたび介助を要する状態が続くと予測されることが認められる。

2  原告一郎の逸失利益

前記認定のとおり、原告一郎は、昭和六三年一二月二四日出生した男子であり、前記後遺症がなければ、将来順調に成長し、高等学校卒業後は満六七歳に達するまで四九年間稼働し収入を得たであろうと推認できる。しかるに、前記後遺症の内容に照らすと、同原告は、生涯を通じて労働能力を一〇〇パーセント喪失したものと認められる。

そこで、賃金センサス平成二年第一巻第一表、産業計・企業規模計、新制高等学校卒男子労働者全年齢平均年間給与額四八〇万一三〇〇円を基準とし、民法所定の年五分の割合による中間利息をライプニッツ方式により控除して算定すると同原告の後遺症による逸失利益は三六二四万七四一四円となる。

計算式 四八〇万一三〇〇円×(一九・二三九〇--一一・六八九五)=三六二四万七四一四円(一円未満切り捨て)

3  原告一郎の付添費用

前記後遺症の内容に照らせば、原告一郎については、日常生活全般にわたり他人の付添介助を要する状態が生涯継続するものと考えるべきである。

そこで、同原告の近親者付添費につき一日五〇〇〇円を相当と認め、付添いを要する期間を満一歳から満六七歳に達するまでの六六年間とし(この点につき被告は、一般に幼児は少なくとも三歳位までは日常生活上当然付添介助を必要とするものであるから、一歳からの付添費の賠償を求めるというのは相当でない旨主張するが、同原告の後遺症の内容、程度に鑑みると、一歳ないし二歳時においても健常児に比べて付添介助を要する度合いが高いことが明らかであるから、右主張は採用できない。)、民法所定の年五分の割合による中間利息をライプニッツ方式により控除して算定すると、同原告が前記後遺症により要することになつた付添費用は三三三七万三二二七円となる。

計算式 五〇〇〇円×三六五×(一九・二三九〇--〇・九五二三)=三三三七万三二二七円(一円未満切り捨て。なお、一年を三六五日とする。)

4  原告一郎の慰謝料

原告一郎が、前記後遺症により、生涯を通じて精神的、肉体的に甚大な苦痛を受けることは想像に難くなく、右苦痛や前記債務不履行の態様その他諸般の事情を考慮すると、同原告に対する慰謝料の額は二〇〇〇万円が相当である。

5  原告太郎及び同花子の慰謝料

原告太郎及び同花子が、重篤な身体障害児の親となつて、原告一郎の健やかな成長を見る楽しみを奪われたに留まらず、日常の介護の手間や愛児の将来に対する不安などにより多大な精神的苦痛を被つていることは想像に難くない。そして、同原告の後遺症の程度は、生命侵害にも比肩し得る程重篤なものと認められるから、その父母である原告太郎及び同花子は、民法七一一条の精神に照らし、前記診療契約の当事者として被告に対し、慰謝料請求権を有するものと解すべきところ、その額は、右苦痛や後遺症の程度と前記債務不履行の態様その他諸般の事情を考慮すると、それぞれにつき五〇〇万円が相当である。

6  弁護士費用

弁論の全趣旨によれば、原告らは、被告の前記債務不履行により、その権利を擁護するため本訴の提起を余儀なくされ、原告ら代理人に訴訟追行を委任して相当額の費用及び報酬の支払を約したことが認められるところ、本件事案の性質、損害の程度、認容額及び訴訟の難易等諸般の事情を考慮すると、被告の前記債務不履行と相当因果関係の範囲にある弁護士費用相当の損害額は、原告一郎につき九〇〇万円並びに原告太郎及び同花子両名につき各五〇万円と認めるのが相当である。

六  催告

請求原因5(一)ないし(三)の各事実は、いずれも当裁判所に顕著である。

七  抗弁

青森市民病院が原告一郎に行つた交換輸血に過誤がないことは、前記四2(五)で認定したとおりであるから、抗弁は理由がない。

八  結論

以上の次第で、被告は、債務不履行による損害賠償として、原告一郎に対し九八六二万〇六四一円及び内金一〇〇〇万円(慰謝料)に対する平成二年五月二七日から、内金七九六二万〇六四一円(慰謝料残金、逸失利益及び付添費用の合計額)に対する平成四年三月一四日から、内金九〇〇万円(弁護士費用)に対する平成五年一〇月七日から各支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の、原告太郎及び同花子に対しそれぞれ五五〇万円及び内金五〇〇万円(慰謝料)に対する平成二年五月二七日から、内金五〇万円(弁護士費用)に対する平成五年一〇月七日から各支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の各支払義務がある。

よつて、原告らの本訴請求は、右の限度で理由があるからこれを認容し、その余は失当であるからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条本文、九三条一項本文を、仮執行の宣言につき同法一九六条一項をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。なお、仮執行の免脱宣言は、相当でないから、これを付さないこととする。

(裁判長裁判官 山田俊雄 裁判官 奥田哲也 裁判官 小林 豊)

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